企画コース「かわさき宿ミニ散策」

東海道かわさき宿交流館を起点に、江戸時代の川崎宿をご案内いたします。
コース内容は1時間程度のミニ散策です。

開催日時

東海道かわさき宿交流館開館日
※ガイド1名で対応するため、10名様までとさせていただきます。
10名を越える場合はご相談ください。

集合場所

東海道かわさき宿交流館
〒210-0001 神奈川県川崎市川崎区本町1丁目8番地4

コース

東海道かわさき宿交流館内の展示説明後、川崎宿をご案内いたします。
A:一膳飯屋万年跡や六郷の渡し跡周辺
B:故郷に向かう芭蕉を見送りに来た門人たちとの別れを惜しんだ京口付近
※上記はコース例です。
お客様のご要望に応えてガイドポイントを調整いたします。

ガイド料

500円×人数分(ただし最低3,000円)

お申込み方法

原則として、ガイド希望日の一カ月前までにお問合わせフォームから申し込みをお願いいたします。
開催日時に「東海道かわさき宿交流館」に直接お越しください。

その他

・平坦な舗装された道ですが、できるだけ歩きやすい靴でお越しください
・旧東海道は狭いので危険です。歩道を一列で歩きましょう
最大限の注意をはらってご案内をいたしますが、ご案内中に発生した事故や他に与えた損害につきましては、当協会は一切責任を負いません。
またお客様には傷害保険をかけておりませんので、事故やケガには各自で十分ご注意ください。

モデルコース

以下、モデルコース4種です。
いずれのコースも所要時間は、2時間から2時間30分程度ですがご希望によりアレンジします。

モデルコース①
「川崎宿めぐり」川崎宿及びその周辺
~大師詣でにぎわいをみせた川崎宿~

(所要時間約2時間30分)

宗三寺 本堂

「武州、河崎荘勝福寺」がその前身といわれています。小田原北条の家臣間宮豊前守信盛が中興し、その法名「瑞龍院雲谷宗三居士」から宗三寺と名付けられました。境内には間宮豊前守信盛の墓や墓石の頭部中央に「烏八(うはっ)臼(きゅう)」と刻まれた、いまだ解明されていない文字のある墓があります。

江戸名所図会「河崎万年屋奈良茶飯」

一膳飯屋万年は庶民の旅の普及・川崎大師参詣者が多くなる中、名物奈良茶飯が評判を呼び、宿内一の茶屋に発展、旅籠も営むようになりました。

真福寺 庚申塔

「瑠璃光山 金剛院 真福寺」。本尊は薬師如来。創建は不明ですが、当初は多摩川河畔にありました。境内には寛文5年(1665)銘の庚申塔があり、阿弥陀如来を主尊としては、市内最古・最大のものです。

モデルコース②
「大師道めぐり」川崎大師境内及び周辺
~厄除け大師でにぎわいをみせた川崎大師平間寺~

(所要時間約2時間30分)

河港水門(大運河計画)

明治以降河口付近の各工場は、この多摩川の水運を利用していました。その後、工業用地拡大のため運河の計画ができ、昭和3年に水門は完成しました。しかし、財政事情の悪化(昭和恐慌)により運河計画は中断してしまいました。水門は当時のまま残され、上部左右には、梨、ぶどう、桃、いちじく等の飾りがあり、この地域がこれら果物の一大産地であったことを教えてくれています。

池言坊(池上家累代の墓所)

大師河原の開発をした池上家累代の墓所です。21代幸広は新田開発のために大師河原に移住してきました。24代幸豊は池上家の開拓精神を受け継ぎ、宝暦9年(1759)に池上新田を開発しました。また、サトウキビの栽培・砂糖の製造に成功し、梨、桃などの果樹栽培や製塩等の殖産興業の発展に貢献しました。

金山神社

祭神は仁徳天皇。対岸にある六郷神社の氏子が大師河原を開拓し、鎮守として祀った治水と干拓の守護神です。境内には金山神社があり鍛冶職人や金物を扱う企業によって「かなまら祭り(ふいご祭り)が行われています。また、大師河原酒合戦記念碑があり、慶安の酒合戦の再現「水鳥の祭」も行われています。

江戸名所図会「大師河原 大師堂」

厄除け川崎大師の正式名称は、『真言宗 智山派 大本山 金剛山 金乗院 平間寺』です。縁起によると、創建は大治3年(1128)、創建功徳主は平間兼乗、開基は尊賢上人です。京都の智積院が総本山で、成田山新勝寺、高尾山薬王院とともに関東の三大本山として知られています。
寛政8年(1796)11代将軍徳川家斉公の前厄消除祈願のための参詣が実現すると、江戸の人達の大師詣では日帰りできる魅力もあって爆発的な信仰の広がりを見せました。

モデルコース③
「ご利益めぐり」京浜急行大師線に沿って
~新田開発と製塩業に励む農民の祈り~

(所要時間約2時間30分)

塩浜神明神社 本殿

創建は徳川4代将軍家綱の頃と伝えられています。境内には塩釜神社があり、祭神は塩土老翁(シオツチノオジ)の神です。安産の神として知られていますが、当地では、寛文11年(1671)に始まった製塩業の守護神として崇められています。製塩は明治30年代まで続きました。

石観音(霊亀石)

天台宗明長寺の境外仏堂で、寛文5年(1665)に創建されました。本尊は如意輪観音石像で、いぼ取りのご利益があることで知られていました。また、境内には、亀の助力によって海底から引き揚げられたと伝えられている「霊亀石」の手水鉢があります。

川中島神明神社

創建は建武年間(1334~1335)の頃と伝えられています。境内のお堂には道祖神「歳/賽の神」と「白衣観音石像」が安置されています。
赤子を抱いた「歳の神」は咳の神様として風邪、百日咳等にご利益があることで知られています。

モデルコース④
「田島めぐり」地元ならではの通な散策
~鎌倉時代の史跡が残る田島の地域~

(所要時間約2時間30分)

畑家墓所と伝源頼政塚

新田義貞の四天王の一人といわれている畑六郎左衛門時能の子孫の墓所があります。墓地内には、畑六郎左衛門時能が越前戦った様子を描いた「友雪画、太平記絵巻・ 灯明寺畷の戦い絵巻」の石刻画があり、当時の戦いの様子をうかがい知ることができます。また、「頼政塚」と「源頼政の供養塔」が畑家の子孫の方に大事に守られ、今に伝えられています。

成就院 本堂

成就院の正式名称は「明王山聖無動寺成就院」といい、本尊は不動明王と二童子です。新田義貞が鎌倉攻めで入間川に布陣した折、夢枕に成就院の不動明王の二童子が現れ、戦勝間違いなしとのお告げがあり、勝利したとの言い伝えが残っています。

新田神社 亘新左衛門の墓

境内には、鎌倉末期から南北朝期にかけてこの地を領した亘新左衛門早勝の墓があります。また、延元3年(1338)越前の国で討死した主君新田義貞の遺品を持ち帰って供養し、義貞を祀ったと伝えられています。